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山梨県笛吹市

山梨岡神社

2014年07月12日

鎮座地
春日居町大字鎮目字宮の前1696番地
由緒
延喜式神名帳に載る古社で、旧社格は郷社である。人皇10代宗神天皇のとき、国内に疫病が流行し災害も多い故、勅命により御室山頂に創祀され、その後、成務天皇の御代に麓の梨樹を伐り拓いて神戸を遷し「甲斐ヶ根・山梨岡神社」と号したのである。「やまなし」の語源発祥の地であり、大字「しずめ」の地名も往古軍団が屯した名残である。
祭神
大山祗命、別雷神、高?神
祭日
4月4日、5日 摂社吾妻屋宮の御神体を迎え、虫加持、太々神楽の執行、神輿の渡御があり盛大に行われる。
文化財
1.本殿(付棟札)…国指定重要文化財
  一間社隅木入春日造、向拝付屋根こけら葺
  室町時代末期の建築様式で、飛騨の工、造営となっている。
2.太々神楽(24種類) 県指定無形文化財
3.雷、魔徐の守護神 町指定文化財(民俗)
4.ふじ 町指定天然記念物
5.武田信玄公社参状、禁制、山争論裁許状、御朱印状(写) その他
尚神社を中心に裏山一帯は歴史景観保全地区として県指定。
(看板資料より)

山梨岡神社本殿

旧本殿は飛騨の工あるいは武田の番匠の造営と伝えられた。
現在の建物は昭和2年、台湾阿里山の桧材で全面改築を行ったもので、棟札2枚とともに室町時代の様式を残した建造物として明治40年、国の重要文化財に指定された。桁行2間、梁間1間、隅木入春日造、こけら葺。
正面出入口は両開き板唐戸で、ほかは板壁である。花狭間の透彫は美しい。身舎の正面と側面には、はね高欄をつけた縁をめぐらし、脇障子をつける。扉正面には擬宝珠柱をたてた昇り高欄つきの階段七級を設けてある。
軒は二軒繁垂木で正面に隅木をいれた入母屋造り、背面は切妻造りで軽快なこけら葺である。正面の妻飾りは狐格子で破風にはかぶら縣魚、背面妻飾りは虹梁大瓶束式で棟木を支え、破風には同じくかぶら縣魚がある。正面につく向拝は面取り角柱で、通肘木つき連三斗の組物で支えられ、身舎柱と向拝柱はつなぎ虹梁で結ばれている。向拝柱の頭貫先は木鼻が作られ頭貫上には透彫をいれた蟇股がある。向拝前面には浜床が設けてある。
春日造りとしては手のこんだ珍しい構造であり、長く保存したい。
(看板資料より)


山梨岡神社太々神楽

社伝によると別名を「武田信玄出陣の神楽」とも言い、出陣に際し勝利を祈願して奉納した神楽であるという。
24種類の舞があるが、いずれも天の岩戸の故事を中心とした古事記神話の世界を表現した、いわゆる出雲神楽の系統に属するものである。
春の例大祭に昼夜2日間にわたって執行されるが、24種類の舞の順序は古来変わることがなく、「四方舞」に始まり、正午に「天の岩戸」が開かれ、最後に祭神の「大山祗命」で舞い納めることになっている。
このうち20番目にあたる「四剣の舞」は「久米舞」ともいわれ美しく着飾った4人が剣を片手に舞うもので、その由来は、神武天皇が大和の宇陀で勝利の宴をはった際、久米氏の兵士たちが天皇の詩歌を歌いながら舞ったのに由来するとされ、その前段はゆるやかに雅やかに、後段では剣を振るって勇壮に舞うもので、誠に格調高く見事な舞である。
(看板資料より)

 



2003年08月30日


鎮座地
春日居町大字鎮目字宮の前1696番地
由緒
延喜式神名帳に載る古社で、旧社格は郷社である。人皇10代宗神天皇のとき、国内に疫病が流行し災害も多い故、勅命により御室山頂に創祀され、その後、成務天皇の御代に麓の梨樹を伐り拓いて神戸を遷し「甲斐ヶ根・山梨岡神社」と号したのである。「やまなし」の語源発祥の地であり、大字「しずめ」の地名も往古軍団が屯した名残である。
祭神
大山祗命、別雷神、高?神
祭日
4月4日、5日 摂社吾妻屋宮の御神体を迎え、虫加持、太々神楽の執行、神輿の渡御があり盛大に行われる。
文化財
1.本殿(付棟札)…国指定重要文化財
  一間社隅木入春日造、向拝付屋根こけら葺
  室町時代末期の建築様式で、飛騨の工、造営となっている。
2.太々神楽(24種類) 県指定無形文化財
3.雷、魔徐の守護神 町指定文化財(民俗)
4.ふじ 町指定天然記念物
5.武田信玄公社参状、禁制、山争論裁許状、御朱印状(写) その他
尚神社を中心に裏山一帯は歴史景観保全地区として県指定。
(看板資料より)

山梨岡神社本殿

 

旧本殿は飛騨の工あるいは武田の番匠の造営と伝えられた。
現在の建物は昭和2年、台湾阿里山の桧材で全面改築を行ったもので、棟札2枚とともに室町時代の様式を残した建造物として明治40年、国の重要文化財に指定された。桁行2間、梁間1間、隅木入春日造、こけら葺。
正面出入口は両開き板唐戸で、ほかは板壁である。花狭間の透彫は美しい。身舎の正面と側面には、はね高欄をつけた縁をめぐらし、脇障子をつける。扉正面には擬宝珠柱をたてた昇り高欄つきの階段七級を設けてある。
軒は二軒繁垂木で正面に隅木をいれた入母屋造り、背面は切妻造りで軽快なこけら葺である。正面の妻飾りは狐格子で破風にはかぶら縣魚、背面妻飾りは虹梁大瓶束式で棟木を支え、破風には同じくかぶら縣魚がある。正面につく向拝は面取り角柱で、通肘木つき連三斗の組物で支えられ、身舎柱と向拝柱はつなぎ虹梁で結ばれている。向拝柱の頭貫先は木鼻が作られ頭貫上には透彫をいれた蟇股がある。向拝前面には浜床が設けてある。
春日造りとしては手のこんだ珍しい構造であり、長く保存したい。
(看板資料より)


山梨岡神社太々神楽

 

社伝によると別名を「武田信玄出陣の神楽」とも言い、出陣に際し勝利を祈願して奉納した神楽であるという。
24種類の舞があるが、いずれも天の岩戸の故事を中心とした古事記神話の世界を表現した、いわゆる出雲神楽の系統に属するものである。
春の例大祭に昼夜2日間にわたって執行されるが、24種類の舞の順序は古来変わることがなく、「四方舞」に始まり、正午に「天の岩戸」が開かれ、最後に祭神の「大山祗命」で舞い納めることになっている。
このうち20番目にあたる「四剣の舞」は「久米舞」ともいわれ美しく着飾った4人が剣を片手に舞うもので、その由来は、神武天皇が大和の宇陀で勝利の宴をはった際、久米氏の兵士たちが天皇の詩歌を歌いながら舞ったのに由来するとされ、その前段はゆるやかに雅やかに、後段では剣を振るって勇壮に舞うもので、誠に格調高く見事な舞である。
(看板資料より)


御室山
山梨岡神社の背後にある山。山梨岡神社の岡は御室山を指し、古来より神のいる場所として信仰されてきた。中腹には山梨岡神社旧社地・御室山古墳がある。旧社地は神聖な場所とされ、かつては祭日に御輿が登っていた。御室山古墳は積石塚の円墳で直径11m、高さ2m。石室は南西方向に開く無袖型横穴式石室で、全長約7mである。
また、毎年4月上旬には御室山では笈形焼が行われる。笈形焼は笈を模した一辺400mの日本一の規模を持つ山焼きである。昭和63(1988)年4月に復活した。山梨岡神社には笈形焼の場所や御室山周辺の様子等を記録した「山争いの図」が保管されている。
(看板資料より)

 

 
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