妙亀山広厳院
この寺は相州小田原最上寺14世雲岬宗竜を開祖、塩田長者降矢対馬守を開基とし、寛正元(1460)年に開山した。山号を妙亀山といい、寺地の池より霊亀が薬師像を背負って現われたことに由来するという。また、甲斐4郡の中央に位置するということから中山とも俗称される。武田信昌が文明19(1487)年寺領を寄進して以来勝頼に至る5代の庇護を受け、武田家滅亡後は徳川家の保護を受けた。甲府大泉寺とともに甲斐曹洞宗の大元として格式があり、県内800余の末寺を総括する。本尊は聖観世音菩薩。甲州88霊場の第16番札所で現在も境内に本堂、庫裏、開山堂、鐘楼などの主要な建物が残り、全て江戸時代の建物として貴重である。山門は既に失われているが、礎石が往時をしのばせる。寺宝のうち、武田家及び徳川家の書状36点と嘉歴2年の鋳造銘のある梵鐘は共に県の文化財に指定されている。
毎年4月16日は中山観音会式で、近郷近在から多くの人々が集まり、終日にぎやかである。
(看板資料より)
広厳院文書36点
当寺に伝わる古文書は、武田信昌(1487年のもの)から勝頼まで5代にわたる寄進状(寺に土地を寄付する意味のもの)や禁制状など武田家に関する書状が11通、その他に加藤光泰、石川秀貞、浅野長継などの支配文書、曹洞宗(当寺は、曹洞宗最勝院末)に関係する文書などがある。
なかでも、武田5代にわたる書状がそろっているのは珍しく、寺院の統率、武家と寺院との関係など、武田から徳川時代の中頃における甲斐国の歴史を知る重要な古文書とされ、一括指定を受けている。
(看板資料より)
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