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山梨県笛吹市

浅間神社

2014年07月12日

浅間神社拝殿

この建物は東向きに建てられていて、桁行7間、梁間3間の一重入母屋造で、正面中央1間に唐破風造の向拝が付き、屋根は檜皮葺の上に銅版をかぶせている。正面を意識した美しい造りの平安時代風の建築の建物で、いかにも甲斐第一宮としての格式にふさわしい拝殿といえる。寛文12年という建築年代もはっきりとしており、江戸時代初期の建築様式の変遷を伝え、さらに一宮の格式ある拝殿建築の一例として本殿(宝暦4年)及び隋神門とともに価値が高く貴重な文化財として町の指定を受けた。
(看板資料より)

太刀 銘 国次
本刀は、武田信玄が奉納したと伝えるもので、長さ104cm、反り4.5cm、鎬造り。地は板目肌鎬地は柾目肌で刃文は中直刃。茎は鑢目鷹の羽で目釘穴1ヶ、国次と2字を切る。銘ぶりは俗に民国次といわれるもので、国構えの中に「民」の字が切られる。寛正、永正頃美濃国に住んだ刀工民国次の作である。民国次の刀工としての位次は高くはないが、本刀は枝両すぐれた作品として県指定を受ける。
(看板資料より)

太刀 銘 一徳斎助則
本刀は一徳斎助則の作で、長さ115.1cm、反り2cm、鎬造り。地は小板目細かく無地風、刃文は直刃に小互の目交り、足葉入り、刃緑匂で締まり、諸所に沸付きが地にこぼれる。
助則は、一宮町中尾の人で、本名田村義事。文政10(1827)年に生まれ、明治42(1909)年に没した。本刀は明治23(1890)年、64歳の時の作で、浅間神社に奉納されたもの。生地中尾の田村家所蔵のもの(明治22年作)とともに、甲州刀の代表作として県の指定を受ける。
(看板資料より)

紺紙金泥般若心経
紺色の料紙に金泥(金字)で写経を行った般若心経で、後奈良天皇(在位1528〜57)の御宸翰(天皇の自筆)による。乱世に在位した天皇は写経の功徳によって万民を救済しようと、諸国一宮に般若心経の奉納を試みた。当初は全国「六十六ヶ国・島国」まで奉納することを目的としていたが、奉納されたと記録されるのは甲斐を含め、三河、周防、肥後、越後、伊豆、安房の七カ国分にすぎない。
紺色の料紙には罫線が引かれ、十八行にわたって般若心経が記された後、一行おいて「甲斐国 国土安穏万民和楽」の祈願文がある。見返しには杏仁型の図柄を一面に配する。罫線・文字・図柄ともに金泥で書かれている。
経典と共に残される包紙には、武田晴信自筆の奉納文と花押が押されている。その内容から、この般若心経は天文19(1550)年、一旦国主である晴信に渡された後、改めて甲斐一宮である浅間神社に奉納されたことがわかる。
(看板資料より)


浅間神社にをさめし武田信玄の歌を後のよまてものこさむとて人のこへるま々にしるす
宇都し植る半つせのはなの
志らゆふをかけてそいのる
加美乃まに

内大臣三条実美
(石碑記載文章説明資料より)

浅間神社の夫婦ウメ

本樹は、根周りが1m、地上80cmのところで4本の枝に分かれ、高さは7mを計る。花は12月下旬から咲きはじめ、2月中旬頃満開になる。花径2.5cmの紅色の八重咲でめしべが2本ある。果実は2本のめしべが実を結ぶので1花で2果を結ぶ珍種である。子房(実になる部分)が完全に分かれていないため、実も完全には分離せず側面で癒着しているのが特徴である。早くから咲きはじめるため気象条件に左右され易く収穫量は一定しない。2つ結実するのも全体の約7割程である。
古来祭神(木花開耶姫命)のご神徳による子授けの霊能ありと信じられ、参拝祈願する人がある。例年旧暦の4月の第二亥日に折枝の神事を行い実を収穫する。
花も果実も珍しく学術上も非常に価値があり、しかも本県の夫婦ウメの中でも代表的なものとして貴重である。
(看板資料より)

 



2004年08月14日

太刀 銘 国次
本刀は、武田信玄が奉納したと伝えるもので、長さ104cm、反り4.5cm、鎬造り。地は板目肌鎬地は柾目肌で刃文は中直刃。茎は鑢目鷹の羽で目釘穴1ヶ、国次と2字を切る。銘ぶりは俗に民国次といわれるもので、国構えの中に「民」の字が切られる。寛正、永正頃美濃国に住んだ刀工民国次の作である。民国次の刀工としての位次は高くはないが、本刀は枝両すぐれた作品として県指定を受ける。
(看板資料より)

太刀 銘 一徳斎助則
本刀は一徳斎助則の作で、長さ115.1cm、反り2cm、鎬造り。地は小板目細かく無地風、刃文は直刃に小互の目交り、足葉入り、刃緑匂で締まり、諸所に沸付きが地にこぼれる。
助則は、一宮町中尾の人で、本名田村義事。文政10(1827)年に生まれ、明治42(1909)年に没した。本刀は明治23(1890)年、64歳の時の作で、浅間神社に奉納されたもの。生地中尾の田村家所蔵のもの(明治22年作)とともに、甲州刀の代表作として県の指定を受ける。
(看板資料より)


浅間神社拝殿

この建物は東向きに建てられていて、桁行7間、梁間3間の一重入母屋造で、正面中央1間に唐破風造の向拝が付き、屋根は檜皮葺の上に銅版をかぶせている。正面を意識した美しい造りの平安時代風の建築の建物で、いかにも甲斐第一宮としての格式にふさわしい拝殿といえる。寛文12年という建築年代もはっきりとしており、江戸時代初期の建築様式の変遷を伝え、さらに一宮の格式ある拝殿建築の一例として本殿(宝暦4年)及び隋神門とともに価値が高く貴重な文化財として町の指定を受けた。
(看板資料より)


浅間神社の夫婦ウメ

本樹は、根周りが1m、地上80cmのところで4本の枝に分かれ、高さは7mを計る。花は12月下旬から咲きはじめ、2月中旬頃満開になる。花径2.5cmの紅色の八重咲でめしべが2本ある。果実は2本のめしべが実を結ぶので1花で2果を結ぶ珍種である。子房(実になる部分)が完全に分かれていないため、実も完全には分離せず側面で癒着しているのが特徴である。早くから咲きはじめるため気象条件に左右され易く収穫量は一定しない。2つ結実するのも全体の約7割程である。
古来祭神(木花開耶姫命)のご神徳による子授けの霊能ありと信じられ、参拝祈願する人がある。例年旧暦の4月の第二亥日に折枝の神事を行い実を収穫する。
花も果実も珍しく学術上も非常に価値があり、しかも本県の夫婦ウメの中でも代表的なものとして貴重である。
(看板資料より)

 

 
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