慈眼寺 |
2014年07月12日 金剛山慈眼寺は真言宗智山派に属する寺院である。寺の創立は詳らかではないが、文明年間に宥日上人によって開創され、その後は武田家代々の祈願所として庇護を受けた。 |
本堂
本堂は元和8年〜慶安3年(1622〜1650)頃の建立と見られ、建物は桁行16.3m、梁間11.9mの入母屋造、茅葺で、室内は6室で構成された方丈型本堂で、仏壇中央に本尊千手観音像を安置する。板敷きの室中や仏間以外は畳敷きで、付書院や床の間など装飾性にも見るべきものが多くあり、江戸時代前期の建立ではあるが、中世の建築技法の名残りを今に伝える名建築となる。 |
鐘楼門
鐘楼門は梵鐘銘から慶安3(1650)年の建立と判る。建物は一間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺で、小規模ながら各細部意匠が優れ、板扉上の平彩色も見事である。 |
庫裏
庫裏は元和8年〜寛文7年(1622〜1667)頃の建立となる。建物は桁行14.6m、梁間11.8mの正面入母屋造、背面切妻造茅葺で、背面下屋庇が檜皮葺となる。妻入の平面を持ち、土間部分に壮大な小屋組を見せており、全国的に見ても古い時代の庫裏建築として価値が高い。
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2004年08月14日 |
金剛山 慈眼寺 |
鐘楼門
鐘楼門は梵鐘に慶安3年の刻銘があり、この時の建立と考えられる。建物は1間一戸楼門で、屋根は入母屋造で、当初茅葺であったものを後に鉄板に葺きかえられた。妻は狐格子にかぶらで懸魚で飾る。石造礎盤に円柱で、1階柱上には出三ツ斗を組み、2階桁を受けるようにみえるが、四隅の通し柱となるので実際は大斗を柱から造り出し、肘木を差して納める珍しい手法である。二階は四周に擬宝珠高欄付切目録が回る。柱頭は木鼻付の頭貫と台輪で固める。軒は二軒疎垂木である。当初は主柱側面に袖塀が取り付いていたことが分かる痕跡がある。主柱の内側には板扉を藁座で吊り込み、その上に(牡丹、琵琶)(菊、蓮)の彫刻の施された蟇股を中備として置く。小規模で簡素な門であるが、全体の比例は良く頭貫木鼻の繰形も優れ、みるべきものがある。江戸時代初期の鐘楼門として貴重である。 |
庫裏
東向きで正面入母屋造、茅葺である。妻飾は虹梁中央に大瓶束を立て、虹梁の組物と大瓶束上の組物を海老虹梁で繋ぎ、かぶら懸魚をつける。入口は左寄りに設け、?に反りのある鳥居形とする。 |
本堂
本堂は、鐘楼門よりやや古いとみられるが、建立年代を示す史料はない。建物は東面する方丈型本堂で前後各3室の6室で構成され、正面と北側面に1間幅の広縁を回し、前面に落縁を設ける。軒は一軒疎垂木、屋根は入母屋造で茅葺きであったものを現在のような鉄板葺に改められた。妻は狐格子三花懸魚で飾る。
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