甲斐国分寺跡は、奈良時代に鎮護国家のため国毎に建立された国立の寺院の一つです。臨済宗妙心寺派護国山国分寺の境内及びその周辺が往時の寺域であり、大正11年10月12日付け内務省告示第270号で国の史跡に指定されました。塔及び講堂跡等に礎石が現存し、当時の壮大な伽藍を偲ぶことができます。
国分寺跡の北約450mには甲斐国分尼寺跡があり、国の史跡に指定されています。また国分寺の西南の金川両岸には、6世紀後半から7世紀にかけての多数の後期古墳があり国分寺近くまで分布しています。これは国分寺の占地にあたって国府や官道に近く、人家の密集地を避けた適当な場所ということで、古墳時代の墓域とされた土地の附近が選ばれたのでしょう。むろん北方の広大な肥沃な土地(現在条里の景観が残る)が経済的な基礎となったことは言うまでもありません。そして国分寺建立の際使用された屋根瓦は笛吹川の対岸の上土器及び川田の両瓦窯で焼かれたことが解っています。
(看板資料より)
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