〜美和神社の文化財〜
木造大物主神立像
美和神社の神体であり、像高130cm楠木の自然木を利用したものである。由来我が国の神像は仏像に比べ極めて少なく、また仏像が抽象的であるのに対し、自由であり、従って写実的で神に祀らんとする人によく似せようとした跡が伺われる。冠を戴き袖を前に合わせて笏を捧げ、素朴ではあるが森厳荘重で藤原初期の作である。
板絵三十六歌仙図
この三十六歌仙図は武田晴信、義信父子が永禄6(1563)年に当社へ武運長久、子孫繁昌を祈願して奉納したものである。筆者は沼津与太郎忠久である。三十六歌仙図は数少なく、本図は古作に属する重要な遺品である。大きさは縦59センチ、横35センチ、杉板一枚造りで表に三十六歌仙の和歌および彩色の人物が描かれている。
(看板資料より)
美和神社の鎧
「白糸褄取威鎧」
南北朝時代の制作で、残存僅少なる中世大鎧の中にあってその製作は精功堅緻であり、当時の守護、守護代など最も身分の高い武将の着領と推定される。惜しくも兜と袖を失っているが製作当初の形式特徴を良く保存し学術的、工芸的価値は極めて高い。
「伊予札革包朱塗素懸紅糸威胴丸」
中世の胴丸と近世の当世具足(一形式)との折忠形式であり、室町時代末期の製作である。中世から近世へ移る過渡期の甲冑の一典型でありその価値は高い。寸法のやや小形なることから初着の甲冑と推定され、古くから武田信玄の元服鎧と伝えられている。
(看板資料より)
白糸威妻取鎧(残欠)
日本の中世甲冑には、鎧・胴丸・腹巻などがあり、鎧は騎射戦用の甲冑で兜・胴・袖の三具をもって一領を形成する。本品は南北朝時代の製作で、残存少ない中世大鎧の中にあって、その製作は精巧堅緻であり、当時の守護・守護代など最も身分の高い武将の着領と推定される。借しくも本品は兜と袖を失い、残存する胴も金具廻と小札の一部を失っている。しかし、製作当発の型式特徴を良く残存し、学術的・工芸的な価値は極めて高く、日本甲冑史上、本品の存在価値は高く評価できる。
朱札紅糸素懸威胴丸佩楯付 一領
本品は、中世の胴丸と近世の当世具足(甲冑の一形式)との折衷形式であり室町時代末期の製作である。伊予札という小札を縫延べ牛革をもって包みこみ表面を朱塗り、裏面を黒塗りとし、紅糸をもって素懸に威したものである。
中世から近世へ移る過渡期の甲冑の一典型であり、類品に加賀前田家伝来の前田利家所有品、岡山県由加神社伝来品があるが、本品が最も古式を示し、その価値は高い。
寸法のやや小型なることから、初着の甲冑と推定され、古くから武田信玄の元服鎧と伝えられている。被損して形を崩し、脇板と小札の一部を失っているが、製作当勅の形式特徴をよく保存し、学術的に貴重な甲冑であり製作は上等で品格も高い。
(看板資料より) |