割ヶ嶽城 |
2016年04月30日 |
村上義清の家臣本荘越前守が居城し、上杉方の援軍も入城していたが、永禄4(1561)年、上杉謙信上洛の隙をうかがい、大手より多田淡路守、搦手より浦野民部が一番乗りし、武田方では原美濃守が傷を負ったが攻め勝ち、城将以下多数を討ち取った。 |
本丸
割ヶ岳城跡 |
2007年05月20日 |
割ヶ岳城跡 |
今回の史跡探索で朝一番に訪問したのがこの割ヶ嶽城でした。善光寺平はいい天気でしたが北方の雲行きは怪しくなっていました。途中間違えて一つ前のインターチェンジで降りてしまったため予定のルートとは違う道で現地に向かいましたが、山道で風情があって良かったです。そのうち小雨が降りだしてきましたが太陽の光もさしていました。そして野尻湖の方角を見たらきれいな虹が出ていました。虹を見たのは久しぶりでした。「割ヶ嶽城入口」と書かれた看板を発見したので付近に車を止めて看板の指し示している方向に歩いていきました。すると人家の中に入っていってしまうのです。一度出てきて近所の人に行き方を聞いてみたら丁寧に教えてくれました。やっぱり先ほどの民家の庭先を通って行かなければならないのです。民家の裏側にまわってみるとすぐに登山道の入り口が分かりました。歩き出してすぐに幾つかのお墓を見つけることができます。後で聞いて分かったのですがこのお墓は城主のお墓などのようなものではないとのことでした。しばらくなだらかな道を進みますが途中で左側に折れてそこからは登りになりました。 |
登山道はややわかりづらいところもありましたが基本的に曲がるべきところには案内板があるので道を間違えることはないと思います。案内板には7合目、9合目などの情報も書いてあり、あとどれくらいなのか分かって励みになりました。また途中木が根元から倒れているところがいくつかありそのため登山道がふさがれてしまってるところもあり、それを乗り越えていかなければならず服が汚れてしまいました。 |