矢筒城 |
2016年04月30日 |
矢筒城としては文献・史料に記されていないが、永正10(1513)年長尾為景の福王寺彦八郎宛ての書状の中に「嶋津貞忠との同心あるべからざること、何より其の要害の用心油断あるべからざること」とある。この福王寺要害こそ、矢筒城の初期の姿であったと思われる。長尾為景が信濃国人層をその影響下に組織しようとしつつあった永正年間、島津貞忠の圧力を受けながらも福王寺氏がこの要害を確保していたものと思われる。 |
本丸
中世の豪族島津権六郎矢筒城跡 |
帯郭
2007年05月20日 |
中世の豪族島津権六郎矢筒城跡 |
矢筒城は牟礼神社のすぐ近くにあるとのことで牟礼神社に向いました。牟礼神社には城跡の形跡がなく、よく分からなかったので近所の人に矢筒城の場所について聞いてみました。するとちょうどそこから見える山でした。現場への行きかたを丁寧に教えてくれました。一度麓に下りて反対側から登っていくような感じでした。現場までの案内板があったので迷わずに行くことができました。車を置いて歩き始めてすぐのところで案内板を見つけました。そこから少し登っていくと公園のようなところに出ました。そこが本丸のようでした。中央が少し高くなっていて観音様がありました。花がきれいな公園でした。 |