浦野城 |
2009年10月04日 |
浦野氏の歴史と居館跡 |
以前来たときに教えてもらっていた入口から登って行きました。ちょと歩けば上に出ることができるだろうと思っていたのですが、実は結構登りました。広い平地の部分に出ましたが左側に更に上に登れる所があって登りきってみると平地になっていました。案内などがなかったのでどこが本郭なのか不明でしたがある程度規模が大きい山城のようでした。 |
2009年05月04日 |
天文年間に浦野民部允が城主になるに及び、初め村上幕下であったが、のちに武田氏に与した。弘治3(1557)年の川中島合戦の活躍に対する武田信玄からの感状を得たり、永禄年間には一族あげて上野の地で活躍をみせたり、永禄10年には上野三嶋の地を宛行われるなど、この時期の躍進ぶりはめざましいものがある。なお、同年には浦野幸次をはじめとして一族・被官などにより多くの起請文が生島足島神社に捧げられている。 浦野高札場があったお宅で浦野城について聞いてみたのですが対応していただいたご婦人が親切に色々なことを教えてくれました。登り口の場所ももちろんですが、御射山祭りが行われていたのではないかという説もあるのだそうです。またご婦人自身も先祖が武田勝頼公に仕えていたと伝えられているとのことで長篠の武田勝頼観戦地などに行ったことがあるとのことでした。今回は足を痛めていたので登れませんでしたが次回来た時はまた寄らせてもらいたいと思いました。
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