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長野県上田市

岡城

2009年10月
04日

前回訪れた時は三日月濠などが確認できなかったので時間をかけて探してみました。しかし今回も確認することはできませんでした。上の写真は城の北側の濠だと思います。



2009年05月
04日

市指定史跡 岡城跡
岡城跡は武田信玄の家臣馬場美濃守信房の縄張りにより、天文年間末に築城されたと考えられる。内濠・外濠の外に武田氏独特の三日月濠のある大規模な初期の平城である。
天文22(1553)年、村上義清の葛尾城を落してから、永禄3(1560)年松代に海津城を築くまでの6年間、武田勢の川中島進出の貴重な前線基地であった。
城の規模は東西460m、南北365m、面積約7万5千平方mである。三ヶ所の三日月濠をはじめ、内濠・外濠の大部分が埋められて田や住宅に変わってしまったが、いまだに旧形をたどることができる。武田流の三日月濠のあった小諸、長沼などの城がともに埋められて当時の城郭の様が全く失われている現在、岡城跡は貴重な遺構である。
(看板資料より)

岡城は交通の要衝を扼する好位置に築かれている。ことに室賀峠は武田信玄が本通りとして使い、村上義清も塩田城を根拠にして佐久方面に進出した道であるなど、上田小県地区から他郡へ連なる重要路である。岡城は、いわばその室賀口への押さえの城として築かれたといえよう。
岡城の構築者・構築時期などについては正確な記述は未見であるが、同城の大手口や東と西に設けられた三日月堀などに、甲州流の築城手法が色濃くみられることから、村上・武田両氏の抗争にかかわり、室賀口の押さえとして更には北信濃への前線基地の一つとして、甲斐の武田氏によって築かれたと思われる。なお、里伝には、塩田自落後、馬場美濃守によって整備されたとある。
(日本城郭大系より)

周辺で聞いた情報によると岡城公園の横に説明板があるとのことで最初にそこに行ってみました。そこから公園の中を散策しましたが、公園の中が周囲より高くなっていて土塁の一部のようでした。上の写真は祠があったところです。地元のおじさんの話によれば三日月掘跡などが残っているとのことでしたが、どこなのかは確認することはできませんでした。

 

 
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