前松寺 |
2006年12月03日 |
前松寺は室賀一葉軒信俊が父母のために建てたお寺とのことでした。現地を訪れるまでは室賀信俊という人の名前は聞いたことがあり、武田信玄死去後の武田勝頼と徳川家康との長篠城をめぐる攻防の際に長篠城の武田側の副将として活躍した人との知識程度しかありませんでした。信州の先方衆であることも知っていましたが信州のどこらへんが本拠地だったのかは知りませんでした。今回出かける直前になって上田市に室賀というところがあり、室賀氏の本拠地だったところであり、城跡等も残っているとのことでしたので寄ってみることになったわけです。 |
室賀氏の宝篋印塔
前松寺は室賀氏の菩提寺ということで先祖代々の墓などがあるのかもしれないと思いつつ現地に向かいました。お寺の本堂に向かって右側の入口でブザーを鳴らしてみたのですが反応がありませんでした。本堂左側から裏にまわってみたのですが、逆に右側から奥の方に墓所がありそうでしたので再び右側から裏へまわってみました。するとご婦人がおられたので室賀氏のお墓のようなものが無いか否か聞いてみたところ、丁寧に教えてくれました。詳しいことについてはお墓を見終わった後に住職に聞くことができるとのことでした。お墓はお寺の本堂のちょうど裏手で、少しきつい坂を登っていくとすぐにたどり着くことができます。室賀氏の宝篋印塔と書いてあって柵で囲われているのですぐに分かると思います。中には5つの墓がありました。周辺にも一般のお墓もありました。再びお寺の本堂裏に戻ってきて住職にお話を伺いました。それによると、室賀信俊はもともと村上義清のもとにいたが武田の勢力がこの地方に及ぶに至りその後は武田氏のもと、信濃先方衆として各地を転戦し、最後まで武田勝頼に従っていったとのことでした。その後遺体がこの地まで運ばれてきたのかどうかまでは分からないとのことでした。先ほど見学した「室賀氏の宝篋印塔」は室賀信俊の墓ということにはなっているが、実際のところは良く分かっていないのが実状のようでした。なお、墓らしきものは5つあったので具体的に5人の名前についても聞いてみましたが、5人の墓ではなく、五輪の塔なので5つあるとのことでした。室賀氏に関する系図等の資料を頂くこともできました。また関連する史跡として生島足島神社に奉納されている室賀信俊の起請文を紹介して頂きました。 |