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長野県箕輪町

上ノ平城

2008年11月02日

長野県史跡 上ノ平城跡
上ノ平城跡は、東方山麓より西に延びる丘陵突端部に位置し、その規模は東西約450m、南北約200mを測ります。城跡は南北にわたる5条の空掘により区画され、西から「二の郭」「一の郭(主郭)」「三の郭」「四の郭」と呼ばれています。このうち「三の郭」と「四の郭」は、東西約180mの空掘により、それぞれ南北に分かれています。
これまで城跡の歴史については、平安時代末に源為公によって築城されたと伝えられ、鎌倉時代中期には諏訪氏と同族の知久氏の拠るところとなり、知久氏が下伊那に移ってからは使われることがなかったとされてきました。しかし平成10年〜12年に実施した主郭等の発掘調査では、戦国時代(15世紀中頃〜16世紀中頃)の遺構や遺物が確認され、城は戦国時代にも機能していたことが明らかになりました。調査では、主郭の現地表面下から土塁、礎石建物址、出入口遺構等を伴う生活面が確認され、そこから大量の炭化物や焼土が出土したことから、何らかの理由により焼失したものと考えられます。又、同時期の遺構として、主郭と二の郭の間からは埋没した空掘も確認されました。このように、上ノ平城跡の地下には、現在も貴重な遺構や遺物が埋まっており、地域の歴史を伝える貴重な文化財として、長野県史跡に指定され大切に保護されています。
(看板資料より)

地図を参考にして上ノ平城の付近まで行くことができたのですがその先がどうしても分からず、ちょうど見かけた方に場所を尋ねてみたところ、なんとそのご婦人が私の車に乗って入口まで案内してくれるというので急いで助手席を片づけました。入口はすぐ近くでした。そこから少し登っていくと立派な上ノ平城の碑がありました。案内板もあったのでそれを読んでいると、犬の散歩をしていたおじさんが、初めてだったらこれを持って行くといいと言って、そこにあった郵便受けのようなところからパンフレットを1枚出して私に手渡してくれました。
城跡は大きな段々畑のような感じでした。奥の方まで歩いて行ってみると古い案内板がありました。既に夕方になっていて寒かったのですが、城跡の上からの中央アルプスと箕輪の町並みの景色は最高でした。

 

 
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