津久井城 |
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三増峠の合戦の際に信玄が小幡尾張の軍勢で津久井城を抑え、その後の合戦を有利に展開したのだそうです。津久井湖畔の「県立津久井湖城山公園花の苑地」に車を止めてすぐ近くの登山道入口から登り始めました。30分弱で飯縄曲輪(飯縄神社)に到着し、そこから本城までも10分くらいで到着しました。帰路は小網口方面に下り、車で根本口方面に行ってみましたが公園工事中で御屋敷跡をみることはできませんでした。道は概ね整っていましたが一部険しいところもあるので運動靴で行くことをお勧めします。
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津久井城の位置 いつごろ、誰がつくったのか? 津久井城が滅びたのは? 根小屋式山城の遺構 山城部分の遺構 根小屋部分の遺構 以上看板資料より |
本城曲輪と土塁 |
宝ヶ池
いざ戦となって山城にたてこもっても、水がなくては戦いどころではありません。 以上看板資料より |
烽火台と鐘撞堂
この付近は烽火台とも鐘撞堂とも伝えられます。戦国時代、城や砦の間の情報伝達には、天気の良い時には烽火(狼煙とも書く)や旗、吹流しなど、また夜間や雨の日には鐘や法螺貝などの「音」が使われました。津久井城周辺には、敵に備え多くの砦や烽火台が築かれていました。 烽火台の先に見晴らしの良いところがあり休憩することができます。ここからは三増峠の方を見ることができました。津久井城が三増峠の合戦の主戦場の裏に位置し、重要な場所であることがわかりました。また遠く横浜のランドマークタワーを望むこともできました。 |
飯縄神社
津久井城は峰が2つあって、ひとつは本城でもうひとつは飯縄神社になっています。飯縄神社の下には宝ヶ池があります。飯縄神社には飯縄曲輪跡の案内板もありました。 |
堀切と引橋
戦になると、ふだん使っている橋をはずし、本曲輪へ攻め入ることが困難になる仕組みになっていました。 引橋について |
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津久井城址
最後に寄ったのは三増峠から北に行ったところにある城山(津久井城址)です。最初に止めた駐車場からは登山道が発見できず、次に行った城山ダムのすぐ近くの駐車場からは登山道がありました。店の人に聞いたところ頂上までは約40分かかり、今日はもう時間が遅いのでやめたほうがいいとのことでした。蛇もでるのだそうです。残念でしたが次回に登ることにしました。40分もかかるということはひょっとしたら岩殿城より大変かもしれません。また情報によれば裏側の功雲寺の近くにも駐車場があってそちらから登ったほうが勾配は緩やかで比較的楽に登れるとのことでした。
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