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愛知県新城市

土屋右衛門尉昌次戦死之地

2014年08月16日

再現の馬防柵内に、東京の子爵土屋正直氏は、石標の土地を買い求めて、碑高165センチ、幅21センチの「土屋右衛門尉昌次戦死之地」碑陰「大正6年6月建之」を建立された。この碑は八束穂の史跡「忠誠碑」と同時に建碑された。
(東三河の史跡めぐりより)

 



2013年07月06日

<EOS Kiss X6i EF8-15mm f/4L FISHEYE USM 8.0mm Tv:1/60 Av:5.6 ISO:100>

再現の馬防柵内に、東京の子爵土屋正直氏は、石標の土地を買い求めて、碑高165センチ、幅21センチの「土屋右衛門尉昌次戦死之地」碑陰「大正6年6月建之」を建立された。この碑は八束穂の史跡「忠誠碑」と同時に建碑された。
(東三河の史跡めぐりより)

 



2003年10月12日



「土屋昌次柵にとりつき大音声」
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

馬防柵の一角に土屋昌次が戦死した場所と伝えられるところがあり、石碑が建てられています。物凄い形相で柵にとり付いたまま討たれている武将が目に浮かび、その異様な光景を想像すると、一瞬合戦の中にまぎれ込んでしまったような気分になりました。今までいろいろな古戦場を巡り歩いてきましたが、こんなに具体的に合戦の一場面を想像することのできるところはあまり無いかもしれません。
また、土屋昌次は土屋惣蔵の兄であり兄弟そろっての勇猛ぶりにも驚嘆させられました。

 

 
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