紀伊風土記によると寛永20(1643)年に造営落成とあります。秀忠霊屋の構造材に寛永10年という墨書があるので建造だけで10年、着工から数えるとそれ以上の歳月が費やされたといわれています。
霊峰高野山は開創以来、宗派にとらわれることなくあらゆる階層の人々の心の憩いの場、魂の安息所として一大仏都をなしてきました。徳川家霊台は、この霊場に家康公と秀忠公の御霊をまつるため三代将軍家光公によって創建されたものです。
左右同じ2棟の建築物からなり、向って右が家康霊屋、左が秀忠霊屋です。細部にいたるまで彫刻や飾金具など技法をこらした装飾がほどこされ、目を見張るばかりの建築美を誇っています。
家康霊屋、秀忠霊屋ともに三間四方の一重宝形造で、江戸時代の代表的霊廟建築として重要文化財に指定されています。周囲には縁と勾欄がめぐり、正面向背は唐破風、銅瓦葺の屋根には露盤を頂き、内部には壁面、天井、厨子にいたるまで金銀蒔絵・極彩色飾金具などで華やかに飾られています。
(パンフレット資料より)
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