田中城 |
田中城本丸跡 |
田中城案内図
田中城址は、藤枝市街地の東、焼津市保福島と境をなす同市西益津小・中学校敷地内で、現在遺構は一部を残すだけである。永禄13年正月駿河国西部に残存する今川方の属城を攻め落とすべく侵入した武田信玄の軍勢によって攻略された徳之一色城(守将長谷川紀伊守正長)を増築したものである。「甲陽軍鑑」元亀元年正月の条に、「藤枝のとくのいつしきあけてのく、是は堅固の地なりとて、馬場美濃守に被仰付、馬だしをとらせ、田中城と名付、暫番手持也」とある。 |
三日月堀
三日月堀というのは、正式には馬出曲輪といい、甲州流(武田式)築城法の一つである。諏訪原城(金谷)、小山城(吉田町)、江尻城(清水)など武田氏の築いた城郭にはみんな馬出曲輪が備え付けられている。 三日月堀 |
田中城二之堀
戦国時代、甲斐の武田氏によって三重の堀、三日月堀(馬出し曲輪)をもつ田中城の原形が築かれ、江戸時代の初め、城主・酒井忠利の拡張工事によって四重の堀に囲まれた田中城が完成しました。 |
大手一之門跡
田中城で一番大きな48坪程度の枡形門で騎馬武者者なら48騎収容できた。 |
三之堀・土塁跡
掻き揚げ堀と土塁で武田信玄が馬場美濃守信房に命じて造ったものと言われている。 |
三之堀・土塁跡
三之堀・土塁跡
田中城 三之堀
戦国時代、甲斐の武田氏によって三重の堀、三日月堀(馬出し曲輪)を持つ田中城の原形が築かれ、江戸時代初め、城主・酒井忠利の拡張工事によって四重の堀に囲まれた田中城が完成しました。 |
武家屋敷・石垣跡
外堀跡