花倉城 |
2014年12月28日 |
本丸
花倉城は今川氏3代目範国が足利将軍尊氏の命を受けて駿遠へ進出し、その子範氏が文和2年(1353)花倉に居館を構え背後の山上に詰城を築いたものと伝えられています。 |
本曲輪と二の曲輪の間の空掘
二の丸
花倉城は最高所に長さ40m、幅11mの平場(本丸)を造り、北西・南・南西に各曲輪を付け、特に南西隅から西へ伸びる長尾根の基部に弾状の曲輪を西方の先端となる二俣尾根に平場を設けている。 |
二の丸土塁
二の丸下の帯曲輪
西南80m程の所にある大きな空掘
古道
土橋
2001年10月08日
花倉城は今川氏3代目範国が足利将軍尊氏の命を受けて駿遠へ進出し、その子範氏が文和2年(1353)花倉に居館を構え背後の山上に詰城を築いたものと伝えられています。 |
花倉城は、烏帽子形山の支峰である城山の頂上部に築かれた室町時代初期の山城である。この山城は14世紀後半、今川範氏が駿河支配のため葉梨荘内に入り居館の詰城として築城したものとされる。16世紀後半には今川義元と兄である花倉遍照光寺住持良真との間で起きた家督争い(花倉の乱)の舞台ともなった。 |
本丸 |
二の丸からの景色 |
車を止めた場所
花倉城の場所もかなり分かりづらく、途中行き過ぎてしまっておばちゃんに聞いて逆戻りして茶畑の中を走り、気付いてみたら右の写真のような狭い道で行き止まりになってしまいました。車はここで乗り捨てて歩き始めたのですが雨が降り始めるしどこまで行っても城への入口にさえ着きませんでした。30分以上歩いてやっと入口にたどり着き、そこからはいつものような山登りでした。
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