高浜砦 |
2012年02月24日 |
永禄9(1566)年、武田信玄の箕輪攻撃はこの砦の奇襲から開始された。箕輪・鷹留間の防衛主軸を分断すべく、那波無理之助宗安は250の兵を率いて夜間、雉郷・里見の防衛網を隠密通過し暁の烏川を越えて高浜の砦に攻めかかった。おりから砦将匂坂長信は箕輪にあり、小勢の砦はたちまち落ちた。宗安はここに火を放って白岩に向かって突き進み、箕輪から馳せ向かった安藤九郎左衛門勝道と戦って討ち取ったが、続いて駆けつけた青柳金王らに敗れて退却したと伝えられる。 |