諏訪の木城 |
2012年12月23日 |
三国街道の北側台上に築かれ、東半は兵力の多寡により取捨する「捨て郭」である。天正9(1581)年6月、真田昌幸は塩原源太左衛門を置き、同17年、北条氏の手に移って望月主計・塩原清左衛門が守った。 |
掘跡
麓の野菜直売所で但馬院の場所を確認して、まずは但馬院へ向かいました。但馬院には諏訪の木城の縁起が書かれていました。チャイムを鳴らしてお寺の人に諏訪の木城の場所を聞いてみたら、野菜直売所の横の道を登ったところに神社がありその横の沢の向かい側全域であるとのことでした。 |
但馬院
諏訪の木城の縁起
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