宮野城 |
2012年12月23日 |
永禄3(1560)年、長尾政虎(謙信)がここに一泊した時、8本の歯が抜けて掌に落ちた夢を見て不興がったのを、直江実綱が「関八州を手に入れる吉兆」と説いた。謙信は申年生まれ、この年も申年だったので、宮野を猿ヶ京と改めたと伝えられる。 |
湖城閣
宮野城址砦の由来 |
本丸手前右側の掘
最初に猿ヶ京の関所跡資料館に立ち寄って周辺の史跡等について教えてもらいました。地図をもらって現地への行き方も丁寧に教えてもらったので迷うことなく到着することができました。 |
本丸手前左側の掘
謙信の天狗様
猿ヶ京に上杉謙信の関東最初の出城宮野城跡がある。この守り神が天狗様である。今でも立派に祭られている。城主、尻高左馬之介は特にこの天狗様を信仰し城の安泰を祈願し武運長久を祈った。この城の落城後は荒れ果てて「夏草や兵共の夢の跡」を思わせていた。戦時中は武運長久と蚕の神様として村人はよくお参りした。又、開運の神としても知られている。お天狗様をお参りする時には、竹の筒に酒を入れて供えた。
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