笛吹市指定文化財
諏訪南宮神社扉絵
この扉絵は金箔押しの板戸に濃彩で杉や松、雲形も描かれている。また裏は桜絵となっている。
甲斐国志に「扉は逍遥軒信綱寄附ニテ松杉桜等四季ノ草花ヲ描ク。一社分ノ扉ハ今下曽根ノ社ニ用フ。」とあるが、この逍遥軒信綱とは武田信玄の弟の武田信廉のことで、国の重要文化財である父を描いた信虎像、母を描いた太井夫人像の作者でもある。
武田信玄祈願状
武田信玄は諏訪明神を武神として深く崇拝し、「南無諏訪南宮法性上下大明神」と大書した諏訪明神旗(塩山雲峰寺所蔵)を本陣にはためかせていたという。
この願文は元亀元(1570)年9月9日、信玄が関東に出陣するにあたり、戦勝を祈願した文書である。この時期の信玄は西上野を併合し、婚姻により同盟関係にあった駿河の今川氏を攻略し、相模の北条氏とは戦を繰り返しつつも関係を修復し、元亀3年いよいよ西上の兵をあげるのである。
寺尾太太神楽
寺尾太太神楽は明治21年に寺尾村桑原寛弥・新田作左衛門・桑原一重・石田喜是が発起して始まったものである。石和町河内の佐久神社祠官、抽那安隣から伝授されたものであるが、もともとは抽那家の先祖が、宝永・正徳(1710)の頃、京都にて、本正家につき神楽の奥義を極めて伝えてきたものである。
昭和63年7月11日
笛吹市教育委員会
(看板資料より) |