宗源院 |
2015年02月07日 |
宗源院は維新の頃まで7万坪に及ぶ広大な寺域を擁していたが、明治政府に上地して縮小をみるに至った。開創は在天雲和尚。応永23(1416)年のことだといわれる。開基は吉良氏である。 |
成瀬隼人藤蔵正義御墓所
宗源院には三方原合戦当時の徳川方の戦死者、成瀬藤蔵正義、外山小作、遠藤右近らの墓標がしつらえられているが、彼らは主君家康の身辺危うくなった時身代わりとなって自刃。武田方を欺いて救った忠節から、家康が一堂を献じ、堂宇をおいて供養させたといわれる。また浜松城主松平伊豆守信祝の代、三方原合戦当時陣中で死去の多世姫なる一族の娘の供養を行い塔を建てた。芳春院殿梅印智光大姉とあり、享保16年1月8日とも刻まれている。その約1ヶ月前即ち前年の12月6日には信祝の姫が亡くなりその墓は天神町北野山竜梅寺にあって、早世梅陰幻香禅童女之墓とあり、享保15年12月6日の文字が読み取れる。 |
外山小作藤原正重御墓所
遠藤右近御墓所
2013年01月27日 |
山号を宝蔵山といい、曹洞宗、普済み寺13派の在天派に属する。在天弘雲が15世紀に開創した。本尊は虚空蔵菩薩・釈迦牟尼佛・普賢菩薩。 |
成瀬藤蔵正義の墓
外山小作正重の墓