西来院 |
2013年01月27日 |
曹洞宗、高松山と号し、寒巌十三派中月窓派と称した。月窓義運禅師が正長元(1428)年に自力開創し、本尊は釈迦牟尼仏。 |
築山御前の墓
静岡市が出身地であったから「お瀬名の方」と呼ばれた。父は今川一族で重臣の関口刑部少輔親永。母は今川義元の妹である。岡崎の松平元信(後の徳川家康)が今川人質時代に結婚。長男信康、長女亀姫を産んだ。 |
松平源三郎康俊の墓
家康公の異父弟で、幼少にして徳川氏の人質として駿府の今川氏真のもとに送り込まれ、12才の永禄11年、武田信玄が駿河の国に南下し駿府を囲んだ時氏真は遁走したが、康俊は武田方に捕らえられた。2年後、厳寒の中を脱出し、三河に帰着した時には凍傷により両足の指がほとんど脱落していたという。家康公は温かく彼を遇したが、32才の若さで没した。康俊子孫にあたる勝以の建立による。
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