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静岡県浜松市

普済寺

2015年02月07日

山号広沢山、曹洞宗。15世紀の初め寒巌義尹が開山、その後肥後国(熊本県)大慈寺から来た華蔵義曇りが寒巌禅師の遺志を継ぎ、東海の禅堂としてこの地に普済寺を建立した。教派は13派(460ヵ寺)を数え、華蔵和尚によって浜松地方に禅宗が広められた。本尊釈迦牟尼佛。
由緒ある寺として徳川氏の保護をうけ、家康も客殿を寄進している。寺域も広く、広沢の名にふさわしく水の澄んだ池があり、月の名所としても知られたが、今は雲夢橋が残るのみである。
戦災のため焼失し、昭和39年再建された。山内に北山稲荷を祀る。
(看板資料より)

歴史研究家神谷氏によると、1582(天正10)年、普済寺の再建時に立てられた長さ約3mの棟札には、三方原の合戦で敗走し、武田軍に浜松城が炎上したと思わせるため普済寺を燃やした家康が「天下統一したら必ず再建する」と約束したことが示されているという。

 



2013年01月27日

山号広沢山、曹洞宗。15世紀の初め寒巌義尹が開山、その後肥後国(熊本県)大慈寺から来た華蔵義曇りが寒巌禅師の遺志を継ぎ、東海の禅堂としてこの地に普済寺を建立した。教派は13派(460ヵ寺)を数え、華蔵和尚によって浜松地方に禅宗が広められた。本尊釈迦牟尼佛。
由緒ある寺として徳川氏の保護をうけ、家康も客殿を寄進している。寺域も広く、広沢の名にふさわしく水の澄んだ池があり、月の名所としても知られたが、今は雲夢橋が残るのみである。
戦災のため焼失し、昭和39年再建された。山内に北山稲荷を祀る。
(看板資料より)

歴史研究家神谷氏によると、1582(天正10)年、普済寺の再建時に立てられた長さ約3mの棟札には、三方原の合戦で敗走し、武田軍に浜松城が炎上したと思わせるため普済寺を燃やした家康が「天下統一したら必ず再建する」と約束したことが示されているという。

 

 
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