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愛知県新城市

法性寺

2014年03月29日

信玄公が撃たれた場所
1573(元亀4)年野田城を武田軍が攻めた折、信玄は毎晩城内から流れてくる松村芳休の吹く見事な笛の音をこの場で聞き惚れていた。
そこを、鳥居半四郎という鉄砲の名手が城内から発砲。
信玄は、この時の傷がもとで間もなく亡くなったとも伝えられている。
(看板資料より)



2006年05月05日

伝説 信玄が撃たれた場所

城を包囲したある月夜の宵、城内から流れる笛の名手村松芳休の吹く美しい音色に誘われて本陣から姿を現した信玄が、城内の一角からねらいを定めていた菅沼配下の銃の名人鳥居半四郎の放った鉄砲玉を胸に受けて倒れたとの俗説もある『三河雀』。
(武田信玄大辞典より)

上の写真の場所から谷を挟んだ向かいに野田城があります。確かに城内で笛を吹いていたら、それを聞くにはちょうどいい場所かもしれません。しかし現地に行ってみれば分かりますが、すぐ裏には建物があって妙に狭苦しく、興ざめてしまいます。

野田城戦死病没者慰霊供養塔

ここに来るのは今回で3回目ですが、入口のすぐ近くに上の写真のような「野田城戦死病没者慰霊供養塔」がありました。今回同行した管理人の母が発見したものです。私ももっと注意深く史跡めぐりをしなければいけないと反省しました。

 



2003年10月11日

伝説 信玄が撃たれた場所
元亀4(1573)年、野田城を武田軍が攻めた折、信玄は毎晩城内からながれてくる見事な笛の音を、この名所に出て聞きほれていた。そこを城内から鉄砲で撃たれ、負傷し、その傷がもとで信玄はまもなく亡くなった伝えられる。
(看板資料より)



1999年11月23日

 

信玄狙撃地
野田城址の隣の法性寺内に信玄が狙撃されたところと言われているところがあった。信玄の死が突然だったために、後に信玄は野田城攻略中に城内から狙撃されたのではないかという説があるのである。

その後、鳳来山に行こうとしたのですが、もみじ祭り開催中のため混んでいたためあきらめ、14時には帰路につきましたが、東名高速の渋滞で藤沢についたのは18時過ぎでした。


野田城

 

 
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