尻高城 |
2005年04月30日 |
尻高城応永8(1401)年3月白井城主長尾重国の家臣により築城が始まる。同十年完成。重国の三男重儀城主となり尻高氏を名乗り左馬頭と号す。 尻高城(要害城・並木城) |
頂上付近の石宮
尻高城は戦国時代の尻高氏の居城で、永禄8(1565)年の武田信玄の上野攻略の時の目標としてあげられた5つの城のひとつであったらしい。その後、天正2(1574)年に武田家の家臣である真田昌幸に攻められて滅亡した。 |
尻高城は沼田から中之条に向う日本ロマンチック街道から少し北に入って行ったところにありました。国道145号線の近くに麓の看板があり、そこから少し登っていくと少し分かりにくいのですが一番上の写真のような石碑と案内板があります。この付近に車を止めさせていただいて歩いて登りました。頂上付近までは30分くらいはかかると思いますので少し気合が必要です。急斜面や足場が悪いところもあるので運動靴のヒモをしっかりしばってから登りましょう。尻高城跡案内図は少し分かりにくいのですが、ここから奥に向って行き突き当たりを右に曲って暫く行くと左に入っていく山道があるのでそこが入口です。そこからは案内板が点在しているのでどんどん進めば頂上にたどり着けると思います。案内板もあまり親切ではないので周りの景色をしっかり覚えておかないと帰り道で道に迷ってしまう恐れがありますので注意しましょう。 |