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山梨県甲府市

信玄堤(荒川)

2005年01月09日

信玄堤案内板

信玄堤とは、16世紀の武田信虎、信玄の治世下に築造されたと伝えられる堤防のことです。釜無川と御勅使川の合流点の竜王町(現在甲斐市)高岩付近のものが有名であるが、荒川でも甲府市山宮町付近から大里付近にかけ築造されました。
信玄堤のほとんどは消滅しましたが、甲府市荒川二丁目地先にはその一部が残存し、石積み堤と樹林にその面影をとどめています。この公園内の水路は、荒川の上流・中流・下流の様子をモデル化し、特に中流域における築堤部分に信玄堤を表現しています。
(看板資料より)


聖牛

聖牛(ひじりうし)は、牛類中の代表的な方法で、急流河川のような砂礫を流送する区間に適する工法である。その形状は三角錐で、3対の合掌木を備え、棟木の長さ4間、末口4寸のものを中聖牛という。これらの聖牛はいずれも底面に棚を設けて重籠をのせ、また後尾に尻押籠をのせて沈圧する。「地方凡例録」によれば、聖牛は武田信玄時代より創案され、はじめ釜無川にのみ施工されたが、信玄の領土拡張に伴い、信濃や駿河にも伝えられ、享保年間各地に伝えられた。
(看板資料より)


菱牛

菱牛(ひしうし)は、4本の合掌木を以って四角錘を組み、同一の太さの丸太を以って桁木及び梁木を取り付け、棚を設けて重籠を積載する。菱牛は四角錘であるため、三角錐のものより転倒のおそれが少ないため、川底変動の著しい河川に適している。菱牛の創始者は武田信玄と推定され、はじめ甲斐国の中小河川に使用され、聖牛のような大規模なものを必要としない程度の場所に適していた。江戸時代の初めには、聖牛等とともに駿河国や信濃国に伝えられた。
(看板資料より)


沈枠

沈枠(しずめわく)は、「四ツ枠」とも称し、陸上で組み立て、施工の場所に運び、詰石を投じて水中に沈設するので、この名がある。これは主として砂礫の多い河川の護岸根固、床止水制又は仮溝切工事に適し、2間四方、高さ1間のものを原形とする。その構造は長さ1間、末口8,9寸の枠柱4本を建て、これに貫木を通し、根太木の上に敷成木を水流に直角に末口を河身に向け、縄、藤壷又は鉄線等を以って立成木を結束し、この中に詰石を行うものである。詰石はなるべく大玉石を使用する。沈枠も信玄が創案して釜無川、笛吹川等に施工し、次いでその領土拡張とともに天竜川、大井川に伝えられたと推定されている。
(看板資料より)


牛枠

牛枠は、各種牛類の起源であり、すでに奈良時代に用水堰等に使用したものと推定される。その構造の一例としては、長さ9尺の合掌木及び梁木、長さ15尺の棟木及び桁木とをもって三角錐を組み立て、長さ9尺の重籠2本及び長さ9尺の尻抽籠1本を以って沈圧する。牛枠は数組配列して使用することが多い。乱流部の護岸決壊防止、水制又は仮締め切り工事等に適している。
(看板資料より)


 

山梨県広域道路地図によると、釜無川と御勅使川の合流周辺にある信玄堤とは別に甲府市内の荒川の土手脇にも信玄堤というのがあるらしいので行ってみましたが、地図に記載の通り立派な信玄堤がありました。堤防の様子を復原したものや、聖牛、菱牛、沈枠、牛枠などの説明と実際にそれらを復原したものが設置されていました。

 

 
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