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山梨県甲州市

大蔵原思案石

2014年12月27日

武田勝頼公は、織田・徳川両軍の進撃により、天正10(1582)年3月10日天目山方面を目指してこの地(大蔵原)まで来たところ、謀反を起した小山田信茂の軍勢は、早くも郡内の真木から小金沢を経て、この付近の峰に構えているとの情報を得た。又、武田の浪人辻弥兵衛の一隊が、勝沼の深沢口より山越しに迂回し、天目山栖雲寺を経て、この先の枕坂山上に陣を敷き要撃する構えがあるのを知り、進路を全く塞がれたのである。
この時勝頼公は、路傍の石に腰を掛けしばらく思慮していたが、この付近で戦うには地の利がないことを悟り、意を決して再び田野に引き返したと言われている。勝頼公が腰を掛けた石には、武田菱に似た条門が浮いており、大蔵原思案石という。
(看板資料より)

 



2005年05月29日

武田勝頼公は、織田・徳川両軍の進撃により、天正10(1582)年3月10日天目山方面を目指してこの地(大蔵原)まで来たところ、謀反を起した小山田信茂の軍勢は、早くも郡内の真木から小金沢を経て、この付近の峰に構えているとの情報を得た。又、武田の浪人辻弥兵衛の一隊が、勝沼の深沢口より山越しに迂回し、天目山栖雲寺を経て、この先の枕坂山上に陣を敷き要撃する構えがあるのを知り、進路を全く塞がれたのである。
この時勝頼公は、路傍の石に腰を掛けしばらく思慮していたが、この付近で戦うには地の利がないことを悟り、意を決して再び田野に引き返したと言われている。勝頼公が腰を掛けた石には、武田菱に似た条門が浮いており、大蔵原思案石という。
(看板資料より)

天目山方面を目指した武田勝頼一行は大蔵原まで来たところでこれ以上北に向うことはできないことを悟り、再び田野に向って行くことになります。上の写真の思案石はレジャーセンターに入って別荘地のようなところを登っていったところにあります。レジャーセンターを越えて更に登ったところから左側に下って行ってテニスコートのところから少し下っていくと同じ所にたどり着くことができます。

 

 
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