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長野県長野市

塩崎城


2009年10月04日

本郭と思われる場所

塩崎城は大塔合戦で守護小笠原長秀が150騎の将士と共に逃げ込んだ城である。古くから赤沢氏の要害とも伝えられる。その後赤沢氏は勢力を失い、配下の地侍の桑原氏にその地位を奪われた。桑原氏は領地を手にすると、塩崎と姓を改め、屋代氏と組んで村上氏から武田氏、上杉氏、更に徳川氏へと時代の動向に従って主家を変えていった。
なお、川中島の戦いでは、武田方の重要な拠点となった。永禄4(1561)年の第4次川中島の戦いで初めに武田軍の本陣が置かれたのは茶臼山ではなくこの城崎城であったといわれている。また永禄7(1564)年の第5次川中島合戦は塩崎の対陣といわれるが武田軍は塩崎城に拠って上杉軍と対峙したという説もある。
(日本城郭大系等より)

石垣跡

石垣跡


長谷寺 観音堂

長谷寺の人を含め色々な人に聞いた結果、塩崎城に行くルートは、長谷寺の観音堂の裏から三十三観音石仏に向って登り、更に登っていくと鉄塔がある所に出ます。更に道沿いに登っていくと大きな堀切があったのでそこから上に登ったところが一番上の写真の部分で主郭と思われます。奥には土塁跡らしきものも確認できました。途中石を積んだ石垣跡と思われるような場所が幾つかありました。

三十三観音石仏

 
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