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長野県長野市

鞍骨城


2009年05月04日

善光寺平や更埴市東部を見下ろす格好の地、鞍骨山頂にあるこの城は清野氏の主城であった。清野氏は村上氏に属し、代官九家の上座に列したという。その後甲斐武田方に、当地の地侍中もっとも早く出仕したことが「高白斎記」天文19(1550)年の条によってわかり、それは村上氏の葛尾落城の3年前であった。
西条氏が清野氏の一族によって名跡が継がれたことなどを考え合わせると、武田方の手が及ぶ前は、東は竹山城、西は雨宮の唐崎城、南西の倉科の鷲尾城などを外郭として、清野氏がこの地一帯に勢力を張っていたことが察せられる。
なお、同22年に武田晴信が塩田城の村上義清を攻めた時、清野右近大夫が晴信から「信」の一字を名乗ることを許されている(高白斎記)。
(日本城郭大系より)

鷲尾城の登り口を教えてくれた方(多分地元の歴史愛好会の人)に鞍骨城についても聞いてみましたが、鞍骨城にはなかなか登れるものではないとのお話を聞きました。5月17日にみんなで登るので8:30に公民館に集合すれば行かれると教えてくれました。私はちょっと無理かもしれませんね。
車で行かれるところまで行ってみましたが、看板があって鞍骨城まで徒歩1時間と書いてありました。付近にいた人(彼も多分歴史愛好会の人)に聞いてみましたが、今見えているのは鞍骨城ではなく、鞍骨城はもっと奥にあるのでここからは見えないとのことでした。
また逆側の清野からであれば途中まで車で行かれるので歩く時間は短くて済むはずとの情報を教えてくれました。

 
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