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千葉県市原市

真ヶ谷城


2009年09月20日

真ヶ谷城全景

真ヶ谷城は、牛久の町から茂原方面に2qほど進んだ北側の台地尾根上に位置する。養老川支流の内田川を外堀となし、入り組む小谷が自然の要害を形成している。城主・城の沿革などは不明であるが、遺構はよく残っている。
城郭は南北に張り出した尾根全域にわたり、隣接の宿地域をも含む。主郭部は二か所の削平地(字要害)のほか、馬の背状の尾根が七か所の空堀によって断ち切られており、東西の縁辺部から下端にかけて腰郭を配置する。虎口はすべて、約20-30m間隔で連なる小丘状の物見台下の堀底に至り、少人数での守備を可能にしている。
(日本城郭大系より)

要害

最初に太子堂に車を止めて天神社方面に歩いて行ったのですが上に登れるような道を見つけることができず断念。城跡の東側である堀ノ内集落の方に向って登れる場所を探してみましたが駄目でした。再び太子堂に戻り、近所の方に聞いてみると城の西側である真ヶ谷の方から登った方が良いと教えてくれたので西側に行ってちょうど出合った方に聞いてみると詳しい人らしく丁寧に教えてくれました。登り口を進んで行くとすぐにT字路になり、右に行くと要害であり、左に行くと一番高い郭に行かれるとのことでした。要害はすっかり畑になっていました。一方反対側の郭は少し登ったところに郭がいくつかありました。

要害と反対側の郭

史・資料や伝承もなく歴史的には全く不明な城跡である。ただ、当地域は16世紀初めには在地領主の長崎氏の存在が確認されていることと、16世紀中葉以降天正18(1590)年までは長南武田氏の領城であったことから、これらの領主に関係した城であったと考えられる。
(図説 房総の城郭より)

太子堂

 
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