笹尾塁跡 |
2013年10月13日 |
笹尾塁跡は、釜無川左岸七里岩の急崖上にあり、釜無川に注ぐ深い侵食谷のため自然の要害に恵まれたところである。本塁跡は、東西80m、南北260mほどの規模とみられ、周囲には、地名、小字名に、「馬場」、「馬場の井戸」、「上屋敷」、「東屋敷」、「中屋敷」、「御所屋敷」、「堀の内」などがある。 |
城山(じょうやま) |
城山(篠尾塁跡)鐘釣穴 八ヶ岳山麓は井戸尻、尖石両遺跡に代表されるように、律令期以降には有数な馬の産地として知られ、平安時代には牧が置かれた。甲斐各地に荘園がつくられた十世紀ごろよりこれらの荘園や牧場を拠点にして甲斐源氏が勃興した。やがて甲斐源氏の流れをくむ武田信玄は、城山とこの一帯を「馬場(バンバ)」と称し、農耕馬や戦馬の育成に努めていくのである。生い茂る木々の間を縫って続く遊歩道が遠い日の人々の暮らしや、栄枯盛衰の歴史を語ってくれる。四季折々に風情を変える自然と、幾年をも越えてきた史跡とは、この地を訪れる人々にも、この地に生まれ育ち、後世を継承する人々にも、深い感銘と余韻を与えてくれている。
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2003年08月30日 |
笹尾塁跡は、釜無川左岸七里岩の急崖上にあり、釜無川に注ぐ深い侵食谷のため自然の要害に恵まれたところである。本塁跡は、東西80m、南北260mほどの規模とみられ、周囲には、地名、小字名に、「馬場」、「馬場の井戸」、「上屋敷」、「東屋敷」、「中屋敷」、「御所屋敷」、「堀の内」などがある。 |
笹尾塁跡からの風景
馬場の里 |
城山(じょうやま) |
城山(篠尾塁跡)鐘釣穴 要するに、砦の横に穴を掘っておいてそこで鐘を鳴らすことによって隣の拠点へ効率よく情報を伝達していた跡であろう。裏側の道を降りてみたが既にかなり崩れてしまっていた。足場が悪いので遊歩道からの撮影に止めた。 八ヶ岳山麓は井戸尻、尖石両遺跡に代表されるように、律令期以降には有数な馬の産地として知られ、平安時代には牧が置かれた。甲斐各地に荘園がつくられた十世紀ごろよりこれらの荘園や牧場を拠点にして甲斐源氏が勃興した。やがて甲斐源氏の流れをくむ武田信玄は、城山とこの一帯を「馬場(バンバ)」と称し、農耕馬や戦馬の育成に努めていくのである。生い茂る木々の間を縫って続く遊歩道が遠い日の人々の暮らしや、栄枯盛衰の歴史を語ってくれる。四季折々に風情を変える自然と、幾年をも越えてきた史跡とは、この地を訪れる人々にも、この地に生まれ育ち、後世を継承する人々にも、深い感銘と余韻を与えてくれている。
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