真田城(一の宮城) |
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築城の年代は明らかではない。鎌倉時代より武藤氏がこの附近に住んでいて、同氏の居城であったといわれる。元亀・天正のころ(約400年前)、武藤刑部亟氏定は武田信玄に属して小国神社にたてこもったので徳川家康に攻略された。その後再び武田氏に属して高天神城に行き家康に亡ぼされた。武藤氏の子孫は城東郡亀甲村(小笠郡)に居住したといわれる。 |
ここは場所を探すのに苦労しました。住所を頼りに向ったのはザ・フォレトカントリークラブの南東側あたりでしたが、結局全然違い小国神社から天竜浜名湖鉄道の「とおとうみいちのみや駅」に向う道の途中の左側にありました。大きくて立派な看板が立っているので通り過ぎることはないでしょう。看板の近くの泥濘に車を駐車して左側にある橋を渡ってあとは案内どおり右側の方へ進みすぐに登山となりました。山の頂上付近が本丸と思われますが、途中道が分かりにくくなっているところもあるので注意したほうがいいです。一番上には石の祠とそれを取り巻くように謎の地蔵のようなものが円形に並んでいました。頂上の周辺には小規模ながら堀などの遺構を認めることができたと思います。 |