桜洞城 |
2006年05月04日 |
桜洞城主三木良親は、広瀬高堂城の広瀬宗城と対立していた。高原諏訪城の江馬時盛は広瀬宗城とともに武田に援助を乞うた。永禄7(1564)年1月、武田軍は山県昌景を総大将としてに飛騨南部の桜洞城に迫り、城下に火を放つなどしたが数日後には信濃へ引揚げた。その後、江馬時盛の子輝盛は三木良親とともに上杉輝虎を頼り、その後永禄7年の第5回目の川中島合戦へと続くことになる。 |
掘跡
桜洞城跡に行くには、桜谷公園を目指します。桜谷公園の山月亭から川を渡ってログハウスの前を通って公園を越えていくと桜洞城の案内板が見えてきます。しかしこの案内板は残念ながら破壊されていて文章を確認することができませんでした。この日も少年がボールを投げつけていました。残念なことです。そこから階段を登って行くと、まさに山城の醍醐味!を味わうことができましたが、それもほんの少しの間だけでした。登りきってみると下の写真のような田園風景のところに出てしまい、少しがっかりしました。そこから奥に進んで行くと上の2枚の写真のような遺構が残されていました。 |