小山田信茂の首塚 |
2013年09月01日 |
「ものがたり甲斐善光寺」によれば、武田勝頼、信勝父子が田野で滅亡した後、小山田信茂らは、織田軍の本陣となっていた甲斐善光寺に集められましたが、身の危険を感じた信茂は逃走して善光寺金堂の縁の下に隠れました。しかし大泉坊という強力の山伏に発見されてついに東光寺に追いつめられて討ち取られたとのことです。小山田信茂の最後については諸説があり、ここに埋められたのは胴体で首は京でさらされたという説や、初狩の随龍庵に埋められた説などがあるそうです。
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2005年05月29日 |
前回甲斐善光寺に来たときに購入した、「ものがたり甲斐善光寺」に、甲斐善光寺の北の方に小山田信茂の首塚があると書かれており、今回是非立ち寄ってみたかったのでとりあえず甲斐善光寺に来ました。甲斐善光寺の駐車場に車を止めて北に向かい、甲府北バイパスを横断してしばらく進み、右に曲ったところで場所を尋ねてみたところ、目的の首塚はちょうど向かいのお宅の敷地内にありました。首塚を見学させて欲しい旨話して了解を得てから首塚の見学をさせてもらいました。思ったより大きな塚で塚の一番高いところには石仏などが置かれており、更に屋根で覆われていました。
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