大熊備前守屋敷跡 |
2014年12月28日 |
元亀2(1571)年武田信玄は、徳川家康の将、松平左近真乗の守っていた山崎の砦を攻め落とし、砦を修築して小山城と命名し、大熊備前守父子を城代とした。 大熊備前守屋敷跡と伝える神戸小字盤ノ谷の原は湯南原台地の東部片岡原の北西部にあり、今屋敷跡の北半分が切り取られて工場建設予定地となっており、南半分は茶畑となっている。
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2007年11月04日 |
吉田町にある小山城の近くに大熊備前守の屋敷跡があるということだったので今回立ち寄りました。しばらく小山城の周辺を走り回って探しましたが見つけることができなかったため小山城に向かいました。小山城には駐車場にお土産売り場があってそこには小山城に関する本や町誌などが置いてあり、小山城の説明をしてくれる人もいたような気がしたのでそこで聞こうと思ったのです。車を止めてお土産売り場に行って聞いてみたところ確かにそういうものはあることを聞いたことがあるとのことでしたが定かではなかったようで、別途詳しい人に電話で聞いてもらいました。それによると小山城のお土産屋さんの横にある道を登って行くと茶畑になるのでそこでまた誰かに聞いてほしいとのことでした。坂を登っていくと確かにそのうち一面茶畑になりましたが、屋敷跡の杭はなかなか見つかりませんでした。ちょうどご夫人がいたので尋ねてみるとよく知っているようで場所を教えてくれました。教えてもらった通りの場所に向かいましたがそれでもなかなか見つけることができませんでした。遠くの茶畑の真ん中に白い棒のようなものが見えたので茶畑の中を歩いてそこに行ってみました。するとなんとその白い棒には「大熊備前守屋敷跡」を書かれていました。本当に茶畑のど真ん中なので場所が分かりづらいかもしれません。 |
→小山城
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