勝間田城 |
2012年02月19日 |
勝間田城は後に、今川氏や武田氏により改築されたと考えられており、特に多くは武田氏によるものと考えられ武田式の手法、及び規模が各所で見出される。この勝間田城は全域に特色ある明瞭な遺構を残し、種々の時代の築城法を研究できる貴重な文化財である。 |
本曲輪
本曲輪の土塁
勝間田氏はこの地方を本拠地とする豪族で、勝間田平三成長は鎌倉幕府の御家人となった。元弘の乱には河内の赤坂城、千早城の攻防に一族が攻撃側と守備側の両陣営に分かれて参戦していることが記録にみえる。 |
出曲輪
二の曲輪と土塁
勝間田氏について |
二の曲輪と土塁
礎石建物
自然石の平坦面を表にして据え、これに柱を立てた建物。縄文時代以来の竪穴住居や堀立柱建物とは違い、寺院や宮殿など長年月の保存を必要とするものに限って礎石の上に柱を立てる建築法が用いられた。 |
掘切
2001年10月07日 |
ここでは城への登り坂の入り口に駐車場があって、車はここに止めて歩くこと! 上には車を止める所はない!という注意書きがあります。素直な我々は麓の駐車場に車を止めおいて舗装されたけっこう急な坂道を登り始めたのでした。がんばれば上に車を止めておくことができるかもしれませんが台数が多くなってきたらちょっと難しいでしょう。 |
見張り台 |
見張り台からの風景 |