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長野県小川村

明松寺

2009年05月03日

当山は大町市平駒沢にある大沢寺の末寺です。その開基は今から約四百年前の戦国時代にさかのぼります。天文21(1552)年7月、小川城主大日方直政の時代に、甲斐の武田信玄が安曇から小川に侵攻してきました。これに対し、大日方一族は和戦両論に分かれ激しく対立しました。
直政には五人の息子がありましたが、長子金吾入道直経ただ一人が抗戦を唱えたため、恭順を願う一族は直経を謀殺、武田軍との和議が成立しました。しかし一族の保全とはいえ、大日方四家には兄の粛正は心の痛みを与えました。
一族は直経の怨念を鎮め、その慰霊のために末弟直定に金吾入道の跡を継がせ、金吾入道直経を開基とし、大町市平駒沢の曹洞宗の名刹大沢寺八世南室壽頓を迎え、小川の地に明松寺を弘治元(1555)年に開山しました。以降、村民の篤い信仰に支えられ、今日に至っています。
宗旨は開山より変わることなく曹洞宗で、近世までは総持寺派に属しましたが、、近代に入り、永平寺・総持寺両方を大本山としました。開山の経緯により大沢寺を本山とし、歴代二十五世を数えます。徳川時代には幕府の加護を受け朱印地十二石を賜りました。
開山堂には開基・開山の両像が祀られ、また小川村、長野市鬼無里地域には金吾入道の鎮魂冥福を祈る計七ヶ所の墓石、石祠、大善神遺跡が点在しています。
(パンフレット資料より)

大日方氏の墓

女性の方が対応してくれました。大日方氏に関するものは何か残っていないか尋ねてみたらお寺の裏側に大日方氏の墓があると教えてくれました。また真名板城の場所も聞いてみたのですが分からないとのことでした。お墓だけでも確認していこうと思ってお寺の裏側に来てみると先ほどのご婦人がいて丁寧に場所を教えてくれました。ちょうど本堂の裏側の松の木のところですぐに分かりました。

 
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