仁科神社(森城・仁科城) |
2016年10月06日 |
本丸
森城 森城址 |
仁科盛遠のもとどり塚
仁科盛政は信濃先方衆で森城主。八十騎。仁科氏は鎌倉以来の国人で、戦国期には安曇郡ほぼ一帯を支配する有力国衆。天文19(1550)年7月、武田氏が信濃筑摩郡の小笠原氏を攻略した直後、仁科道外が武田氏に出仕している。次いで同22年閏正月には仁科氏惣領の修理亮盛康が武田氏に出仕し、以降武田氏に従属していく。 |
阿部神社
仁科城跡の由来 |
本丸の東側
森城の伝説1:阿部渡 |
二の丸
森城の伝説2:機織り淵 |
三の丸
2007年03月11日 |
本日朝一番に訪れたのがこの仁科神社です。森城跡とのことで仁科氏の詰めの城といわれているとのことでした。出発前に地図で確認したときは木崎湖の近くというところまでチェックしてきました。カーナビで木崎湖まで来ましたが相変わらず雪が降っていてしかも風が強く、湖面の水は波打っていました。カーナビの縮尺を変えてみたら仁科神社が発見できたのでそこに向いました。雪はますます強くなってきました。仁科神社の入口に戦国時代仁科城跡附近見取図という大きな案内板があったので当時の様子が良く分かりました。今は地形が変わっていますが当時は木崎湖に囲まれた要害だったようです。また仁科神社は当時の本丸だったところのようでした。 |
仁科城跡の由来 |
仁科盛遠のもとどり塚
森城址 |
本丸跡は現在の仁科神社になっていました。今は広場のようになっていますが当時としてはずいぶん大きな規模の本丸ですね。仁科神社の左側には仁科盛遠のもとどり塚がありました。そこから奥に進んで行くとまた別の建物がありましたが、さきほどの「付近見取図」によると、これは阿部神社とのことでした。そこから木崎湖の方にまわってみると、掘跡のような遺構もありました。大風のなか雪は降りつづけており猛吹雪でした。湖岸の遊歩道のようなところを歩いて再び仁科神社に戻ってきました。 |
三の丸跡
車を止めた近くの三の丸はすぐに分かりましたが、その他の二の丸や馬だしなどは発見することはできませんでした。 |