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群馬県高山村

中山古城

2012年12月23日

沼田・岩櫃両城の中間にあり、古い越後道や江戸期の三国街道はここを通っていた。武蔵児玉党の阿佐美弘方の子実高が中山氏の祖といわれているが、その館跡は南の丸屋敷であろう。中山安芸守は上杉謙信に属してしたが、天正7(1579)年、武田勝頼に従った。同10年6月安芸守の子右衛門尉は津久田城を攻めて討死し、弟九兵衛は名胡桃に落ちて城は白井勢に占領された。
この城は、馬蹄形の尾根に築かれ、その内に小屋場を抱いた異形な城である。北部が主要部で、梯郭式の構造がよく残されている。
(日本城郭大系より)

城跡の中央部分

中山宿本陣の近くにあった郵便局に車を止めさせてもらって中山古城を目指しました。途中畑仕事をしていたご老人に場所を聞き麓の入口までたどり着くことができました。付近のお宅の方にも声をかけたところ、丁寧に教えてくれました。昔は年に2回お祭りをしていたのだそうですが今では秋に1度だけになったそうで、今年も秋にお祭りを行い、その際に登山道を綺麗に整備したのだそうです。熊除けの鈴は必須であるとのことでしたので、マイ熊除けの鈴を鳴らしながら登りました。
山の頂上部分に祠があり、その向かいには崖があって大きな岩が露出していて今にも落ちてきそうな状態で怖かったです。この岩を地元の方たちが祭っているのだそうです。
祠の横の階段を登っていくと大きな土塁のようなものに囲まれた地形になっていましたが写真撮影を忘れてしまいました。

 

 
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