明徳寺城 |
2013年01月12日 |
明徳寺城は南北朝時代、会津の葦名氏の来攻に備えて荘田城の沼田氏が築いた天神山砦を改築したものと考えられ、明徳年間(1390〜4)僧の松庵が城郭の下に明徳寺を開山したことから、現在の名称が一般的になっている。 |
土塁
利根・赤谷両川合流点の上手、唯一の渡渉地の押さえに築かれた城で、上越線後閑駅の東北700mにある。天正8(1580)年5月21日払暁、真田昌幸はこの城を奇襲し、矢部豊後守らを破って占領し、これを橋頭堡として7月に沼田城を奪取した。 |
土塁
最初に麓の明徳寺を訪れ、住職と思われる方に明徳寺城について聞いてみたところ、丁寧に場所とそこまでの行き方について教えてくれました。関越道のすぐ近くにある「つきよの温泉」という温泉施設の奥でした。 |
水子地蔵