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群馬県渋川市

見立城

2012年12月24日

不動山城跡
渋川市赤城町立見二城にあって白井城と利根川を隔ててその重要な支城であった。
白井城が攻められた時二度も白井城主を迎えた事実があり、戦国の世には上杉武田の諸軍と戦ったこともあったが、天正18年小田原の北条氏滅亡と運命を共にして上杉、前田の連合軍に攻落されて落城し廃城となった。
(看板資料より)

白井城の東北2km、利根川東側の段丘上にある白井の支城で、地衆立見氏らの寄居として築かれ、後に山本加兵衛が拠ったという。天正8(1580)年、真田氏の先鋒海野輝幸は7百余の兵でこの城を攻略した。『上州故城塁記』に「河田新四郎住す」とあるのは、天正7年に沼田城代河田重親が北条氏政に請うて八崎城に移ったことを指し、八崎城を不動山城と呼んだとする誤りから生じた誤認で、重親は八崎城に移ったのである。しかし不動山城はこの城のことで、山腹に宮田不動尊(国指定文化財)があるためそう呼ばれた。
(日本城郭大系より)

 

 
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