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神奈川県愛川町

首塚


2014年01月04日

首塚
不動明王を祀る小高い所を首塚という。宝永3(1706)年建立の供養塔がある。このあたりは、三増合戦(1569)のおり、志田沢沿いに下ってきた武田方の山県遊軍が北条軍の虚をつき背後から討って出て、それまで敗色の濃かった武田方を一挙に勝利に導くきっかけをつくったところという。
この戦いのあと、戦死者の首を葬ったといわれるのが首塚であり、県道を隔てた森の中には胴を葬ったという胴塚がある。なお、三増合戦での戦死者は北条方3269人、武田方900人と伝えられる。
(看板資料より)

首塚供養塔と幽霊
中津川に注ぐ「志田沢」は、戦死者の血で赤く染まり、一時「血だ沢」と呼ばれていました。合戦後、この沢近くに戦死者の首を葬ったのが「首塚」と伝わっています。さてその後100年以上経た江戸時代のこと、この付近で度々幽霊が出たそうです。怖くなった村人達が供養塔を建てたところ、幽霊出現の噂もなくなり、もとの平和な村に戻りました。その供養塔は今でも首塚のところにあります。
(愛川町郷土資料館 三増合戦の伝説より)

 



2004年10月10日



2003年11月23日

首塚
不動明王を祀る小高い所を首塚という。宝永3(1706)年建立の供養塔がある。このあたりは、三増合戦(1569)のおり、志田沢沿いに下ってきた武田方の山県遊軍が北条軍の虚をつき背後から討って出て、それまで敗色の濃かった武田方を一挙に勝利に導くきっかけをつくったところという。
この戦いのあと、戦死者の首を葬ったといわれるのが首塚であり、県道を隔てた森の中には胴を葬ったという胴塚がある。なお、三増合戦での戦死者は北条方3269人、武田方900人と伝えられる。
(看板資料より)

 
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