←前のページ トップページ↑ 次のページ→

長野県小県郡長和町

またたび清水

2007年10月07日

農作業をしていた方にまたたび清水の場所を聞いてみたら私は少し下りすぎてしまったらしくもう少し上の方とのことでした。大門峠に向かって道路の右側下の方に青い風林火山の旗が立っているとのことでした。長野県での史跡めぐりでは青い風林火山の旗は重要な目印ですね。現地に到着してみるとちょうどJA信州うえだ大門店の少し下のあたりでした。青い風林火山尾旗の下には小さな祠がありました。近所の家に老婦人がいたので話を聞いてみたら、またたび清水一帯の土地の所有者である隣の方を紹介してくれました。彼の話によれば風林火山の旗の下にある祠はまったく関係がないとのことでした。肝心な清水については祠からもう少し奥に行ったところに小さな池があるとのことでした。彼の言ったところに行ってみると確かに小さな池があって井戸のような感じでした。今ではもう水は湧き出していないとのことでしたが確かにそんな感じでした。今私が走ってきた道路を作ってから水が出なくなってしまったとのことでした。しかも中には白いゴミ袋のようなものが入っていました。信玄公が死の間際に欲したという清水も哀れな姿となっていました。

またたび清水と強清水
武田信玄が川中島出陣の際、大門小茂ヶ谷の「強清水」と宮ノ上の「またたび清水」を飲んで出陣し、戦果をあげたという。信玄はその後も各地を転戦、天下制覇を夢見たというが、三河の野田城を陥れたころ重病にかかってしまった。そして夢うつつのうちに、「あのうまかった宮ノ上の『またたび清水』を、もう一度飲んでみたいものだ」と訴えた。一人の家臣が、早馬で「またたび清水」をくみに走らされた。家臣は夜を昼に継いで走り続け、大門峠を下って小茂ヶ谷まで来たとき、「強清水」のことを思い出して、「同じ清水だ。これでもよいだろう」と、その水をくんで帰り、信玄にさし出した。一口飲んだ信玄は、「これは違うぞ。これは『またたび清水』の水ではない」と、飲み分けたという。主人の最後にあたりその期待を裏切ったことで、家臣は打ち首になるところだったが、「私は主人を喜ばすため、『またたび清水』よりもうまい天下の名水を探し求め、『またたび清水』にまさるとも劣らない『強清水』のことを思い出し、それを汲んで来たのです」といって、難を逃れたと伝えられている。
(長野県の武田信玄伝説より)


強清水
野田城

 

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→