信定寺 |
2015年05月03日 |
信定寺の沿革と由来 |
鐘楼
旧梵鐘は元禄3年の作で、江戸時代までは山門の右側にあり、明治19年現在の場所に設置、昭和17年戦時中供出するまで、朝夕鳴りひびく鐘の音は村の人々の心のよりどころとしてきた。
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2007年10月07日 |
信定寺の沿革と由来 |
鐘楼
旧梵鐘は元禄3年の作で、江戸時代までは山門の右側にあり、明治19年現在の場所に設置、昭和17年戦時中供出するまで、朝夕鳴りひびく鐘の音は村の人々の心のよりどころとしてきた。 和田城を探して旧和田町役場から中仙道和田宿本陣の前を経て美ヶ原方面に向いました。そのうち別荘地に入り込んでしまい、老人に話を聞いたところ和田城は麓にあったお寺の近所であると教えてくれたので再び下ってお寺に向いました。確かに本陣のところにお寺があったのを覚えてきました。そしてそのお寺が信定寺というお寺であることも分かっていました。お寺の方に和田城の場所を聞いてみたら裏山が和田城であると教えてくれました。また信定寺は大井信定の菩提寺とのことだったので彼の墓など縁の物はないのかについても聞いてみましたが、お墓の場所についても丁寧に教えてくれました。少し変わった形の山門と大きな本堂が印象的でした。 |
虚空蔵堂
安永2年上の山にあったものを明治34年山門の左側に建立。昭和10年修築、平成12年現在の位置に移転新築。
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