丸子城 |
2010年01月31日 |
丸子合戦(丸子表の戦い) |
松本市と小県郡とを結ぶ三才山峠に源を発する内村川と小県郡和田峠を源流とする依田川は丸子地籍で合流するが、その両川に抱かれた形の三角状の山塊は通称、城山と呼称され、その頂部には突端に飯盛城、山頂に丸子城、南・北山麓には丸子氏居館と推定される城館などが築かれている。 |
丸子城本丸
ここは、丸子城の本郭(戦いのときに武士がたてこもった中心的な場所)跡である。丸子城(依田城とよばれた時代があった)は戦国時代の山城で、天正13(1585)年、時の城主丸子三左衛門(三右衛門ともいう)が真田昌幸の軍に属して徳川家康の軍と戦った、いわゆる「丸子表の戦いの場」である。 |
本丸からの景色
丸子三左衛門城址の石碑
井戸
この井戸は、いざ戦いという時の用意につくられた溜井戸である。石と石の間に粘土をつめ、雨水をためて飲み水などに使った。 |
堀切り
敵が一気に攻め込むことを防ぐために尾根を切って築いた堀である。本郭(戦いのときに武士がたてこもった中心的な場所)と二の郭(本郭を守るために武士がたてこもった場所)との間の尾根に幾条も見られる。 |
段郭
郭(曲輪)ともいい、城の周囲に石を積んだり土を削ったりして築いた平地で、それぞれの武士団が分担し敵の攻撃から城を守った場所である。この西側の山腹にはいくつも見ることができる。
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