馬伏塚城 |
|
この城はいつ築かれたか明らかではありませんが、文亀元(1501)年に遠江国守護であった斯波氏と駿河国守護であった今川氏が遠江国の支配権をめぐって中遠地域で激しい戦闘が繰り広げられた時に、今川方の拠点として座王城(袋井市久野)、天方城(森町大鳥居)と共に登場しており、この時には城塞としての機能を果たしていたことが分かります。 |
|
この城はいつ築かれたか明らかではありませんが、文亀元(1501)年に遠江国守護であった斯波氏と駿河国守護であった今川氏が遠江国の支配権をめぐって中遠地域で激しい戦闘が繰り広げられた時に、今川方の拠点として座王城(袋井市久野)、天方城(森町大鳥居)と共に登場しており、この時には城塞としての機能を果たしていたことが分かります。 |
徳川家康が、高天神城を攻略するために利用したといわれている馬伏塚城は以前から気になっていたのですが、今回立ち寄ることができました。ほとんど何も残っていないような所を想像していたのですが、入り口には立派な説明板があって驚きました。説明板にも記載されていましたが当時は規模の大きな城だったのかもしれませんが現在残っているのは小さな小山で、小山の上には神社がありました。鳥居のところに馬伏塚城址と書かれた石碑もありました。木が生えているので周辺を見渡すことはできませんでした。
|