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静岡県磐田市

合代島


2005年02月12日

武田軍は袋井まで南下した後、天竜川右岸を北上して二俣城を攻めますが、武田信玄の本体は合代島にあったとのこと。豊岡村役場で信玄が本陣をおいたとされる合代島というのがどこになるのか聞きましたが分かりませんでした。
ただ、見せていただいた村史によれば武田軍は合代島の砦を落とした際に亀井戸城という城も落城させたという情報も教えてもらいました。
資料によれば信玄が本陣を置いた合代島からの見晴らしが良かったとのことなので役場から南に行って坂を登ったあたりである合代島上というところではないかと思いました。(もちろん勝手にそんなことを言っているだけなので実際にはどこだったのかは分かりません)
坂を登りきったあたりには弘法井戸というものがありました。ひょっとしたら武田軍もこの井戸の水を飲んだかもしれませんね。


史跡 弘法井戸

今をさかのぼること1180余年、大同年代に弘法大師(空海)が諸国遍歴の際、この地に巡り来て、とある家に立ち寄って一杯の水を所望した。家の人は、ここには水がないから山の下まで水を汲みに行きその水を差し出した。大師は大いに喜び、里人の誠実と純朴さを愛して、持っていた杖で畑の中に円を記して、そんなに不便ならここを掘って見なされ、必ず水が出るからと言い残され旅立たれた。
そこで里人はこの井戸を「弘法井戸」と言うようになり、訪れる人の姿をよく見かける。
(看板資料より)

 

 
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