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山梨県南部町

真篠城

2008年01月03日

真篠砦(城山)の遺構
天文から永禄年代(1532〜1569年)に武田信玄の命により構築され、その家臣原大隈守が警固したといわれ、城山全体が砦(山城)としての遺構を備えており、甲斐、駿河の国境に近くてその守備と周辺の砦との連絡に必要な拠点性に加えて、山地の要害を巧みに取り入れて構築されている。
(看板資料より)

登山道

途中何度も場所を聞いてやっとのことで看板がある所までたどり着くことができました。しかし現在地が何処なのか分からず、そこからどうやって行けばいいのかも分かりませんでした。看板の右側に道らしきものが確認できたのでそこから歩いて登って行きましたが途中で道が分からなくなりそうになったので断念して元の場所に戻ってきました。そこから更に車で上に登ってみたら運良く農作業をしている人がいたので聞いてみると別の行きかたを教えてくれました。しかし具体的に何処から入っていけばいいのか分かりませんでした。方角は分かったのでその方向に歩いていってみることにしました。結局これが正解でしたが何も案内が無いので油断していると迷子になってしまいます。途中までは登山道のようなものがありましたが途中からは道もなくなってしまいました。しかし明らかに本丸と思われる所が分かるのであとは城攻めをするしかありません。本丸と思われる所は意外と大きくて驚きました。ほとんど管理されていないような感じだったので雑草や木が倒れたりしていましたが、周辺は土塁で囲まれていて遺構はよく残っていると思いました。

本丸の祠

本丸の土塁

 
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