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山梨県南部町

円蔵院

2013年12月22日

南部山円蔵院
臨済宗妙心寺派の名刹で天文年中に河内領主穴山伊豆守信友が自らの菩提寺として、甲府長禅寺の桂岩和尚を開山として創建したものである。
当時の山号は、古城山と称していたが文化年間以降に今の山号に改めたものである。境内には穴山信友公の墓〔円蔵院殿前豆州太守剣江義鉄大居士・永禄3庚申(1560)年12月16日没〕がある。寺には穴山信君(梅雪)が亡父の姿を画かせて寄進した絹本著色穴山信友画像(県文化財)や、武田・穴山、徳川氏らの支配文書が多く所蔵されている。
なお、池のジュンサイは県下唯一のものであり、裏山に自生するカギガタアオイとリンボク、コシダ、ウラジロ、シイの群落はともに県指定の自然記念物として貴重なものである。
不幸にして昭和31年2月13日、類焼の災により昔の建物はことごとく焼失しわずかに正面の2つの門と土塀だけが往時を偲ばせている。
(看板資料より)

穴山信友の墓



2007年11月18日

南部山円蔵院
臨済宗妙心寺派の名刹で天文年中に河内領主穴山伊豆守信友が自らの菩提寺として、甲府長禅寺の桂岩和尚を開山として創建したものである。
当時の山号は、古城山と称していたが文化年間以降に今の山号に改めたものである。境内には穴山信友公の墓〔円蔵院殿前豆州太守剣江義鉄大居士・永禄3庚申(1560)年12月16日没〕がある。寺には穴山信君(梅雪)が亡父の姿を画かせて寄進した絹本著色穴山信友画像(県文化財)や、武田・穴山、徳川氏らの支配文書が多く所蔵されている。
なお、池のジュンサイは県下唯一のものであり、裏山に自生するカギガタアオイとリンボク、コシダ、ウラジロ、シイの群落はともに県指定の自然記念物として貴重なものである。
不幸にして昭和31年2月13日、類焼の災により昔の建物はことごとく焼失しわずかに正面の2つの門と土塀だけが往時を偲ばせている。
(看板資料より)

穴山信友の墓

以前近くに来た時に円蔵院も探したのですが、そのときは見つけることができずそのまま静岡方面に向ったのでした。ここには穴山信友の墓があるとのことなのですが今回は是非とも訪れたいと思っていたので付近のお宅の呼び鈴を押して場所を聞きました。彼の話によれば地図に載っている場所よりもっと南であることが分かりました。お寺の前にある駐車場に車を止めてお寺の中に入ろうとしたのですが既に門が閉まっていました。次はいつ来れるか分からなかったので向って左のほうに行ってみると、塀がなくなっていて入れそうだったのでそこからお邪魔しました。本堂は焼けてしまったとのことでコンクリートの建物でした。本堂に向って左側奥に進んで行くと森の中で少し暗くなりますがその奥に穴山信友の墓がありました。穴山信友の墓は中央にあり、その奥には歴代住職の墓と思われるものがありました。参拝後入ってきたところから外に出て、門の前にあった案内板に書いてあることをゆっくり読みました。それによると火事があった時に土塀と2つの門がかろうじて残ったと記載されていたので、もうひとつの門を探してみました。すると向って右側にもうひとつの門があってその門は開いていました。せっかくなので再びこちらから入って本堂の前を通過して穴山信友の墓をもう一度参拝しました。

 

 
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